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LEADERS' SYMPOSIUM

​■はじまりのオープニングムービーによる登壇者の紹介。

その洗練された紹介ムービーは聴衆の「ワクワク」「ドキドキ」を高めるには十分すぎるものだった。

この「おもてなし」にこそ、イベント企画者側の【本気さ】がのりかかる。

間違いなく、主催者の大阪高校教員の先生方は【本気】だった。

 

“本気で知りたいことがある”

 

“本気で広まって欲しいことがある”

 

そんな【本気】の空気が、ホールに満ち溢れた2時間になった。

 

ファシリテーターは大阪高校平野先生。大阪高校学校改革の責任者。

今回イベントの発起者。

「教育界リーダーからいただくエネルギーを感じた上でこのリーダーたちの話を聞いてみたい!」

という、平野先生の【想い】から産まれたシンポジウム。

 

■登壇者紹介

石川一郎先生。大阪高校池田先生主催の21世紀社会科の会の第1回目の講師として参上。中堅教員の研修に来ていただきたい、と思い来てもらったことがはじまり。

恩田徹先生。学校改革のための授業見学で、堀川高校を訪問。教育への洞察力。お茶目さを今日感じてほしい。

日野田直彦先生。軽井沢にあるアイザック研修で、名だたる教員たちがいるなかで、その場をしきる大阪のおっちゃん。箕面に会いに行ったら1日かけていろんな話をしてくれた。大阪高校向けの3時間の研修も。平野先生のメンター的存在。

電通の部長、岸邊一晃さん。業界でも有名人。DAIKIN、アサヒビールなどのプロデュースをてがける。シンガポールから直近で大阪高校へ赴く。平野先生の幼馴染。企業の観点から教育をどう見ているのか、を議論していく。

阪高校校長、岩本信久先生。同僚であり上司であり、20年間一緒に教員をしてきた仲間。

 

■今日のテーマは…

「教育の今、そして未来の教育」

このテーマにまつわるキーワードを

前半は持ち時間、質疑を入れて10分で、登壇者からもらう。

後半は事前にあつめた質問をキーワード化して会場との交流。

 

■一発目

日野田先生へふるが断る。

石川先生へのキラーパス

石川先生:

SFC立ち上げの際にかとうかん先生がかかげていた「未来からの留学生」という言葉が好き。

子どもたちは未来を生きている。

2050年、60年を生きていく子どもたち。

今、学校で教えることが

学校側、先生方の都合という管理の観点が多すぎる。

この何十年日本の教育が支配してきたものは、

「子どもたちを言った通りにさせる」

という指導、正しく導く、こっちの方に向かいなさい。

でも、そもそも未来の社会はわからない。

指して導くことができない。

できないけど、こうあるべきだろう、という。それが気になる。

未来からの留学生の反対語は…

「過去からの難民を送り出す。」

現在年配が反省しないといけないことは、

「中高で学んで来たことが役に立たない」という現実。

 

■そうぞう する力について

正しいもの(ロジカル)が大事という。

正しく本が読めることが大切という。

正しく読めばいいの?

自分も案外小心者で、ネットの書評を読むとレビューを見る。

こいつ4文字ばかり並べてむかつく、とか思う(笑)

でも正しく読めていない。

人間は、正しく読む力は必要だけれども

直感的感覚的に物事を捉えることも大切。

学校で、子どもたちが

「こういうこともあるんじゃないんですか?」

と言われたとき

ばかなこというな、という。

試験に出ない、という。

大学行ってからかんがえろ

世の中でてから

という。

 

2つのそうぞう

Imagination, creative

が大切。

 

それらを生み出す直感や感性は人間の行動の本質。

直感・感性をこれまでの教育は軽視しすぎてきた。

AIが出てくる中で、AIには正しいことをやってもらえばいい。

でも僕はこうしたい、と人が思って生きていけばいい。

学校の中では両側。

ロジカルも 直感感性も。

2つのそうぞう、を教育に落とし込めないかな、と考えている。

 

 

■岸邊さんへのパス

「椅子がせまいんですよね」

我々はcreativeがすべてにおいて優先。

コストを抑えながらどうすればより良くなるのか。

すべてアイデア

すべてが我々の中ではcreativeが支配しているので、石川先生に賛成。

 

■岸邊さんがしていること

cm作り、AKBやドコモダケ、おーじんじおーじんじ、ノバうさぎなど。

 

■岸邊さんの問いかけ

これらに

学歴は関係ある?

ご自身の学歴に自信のある人は?

いい大学は?並べられるが、いい高校は?

 

インタビューまでいくと大学はみない。

だから、しゃべる。

でも、半分の人はしゃべれない。

「お名前は?」「大阪府です」という。

頭を鍛えることは、いい大学に入ることとは関係がない。

いい教育と関係がある。

いい教育とは?大人数で?それはカスタマイズできている?

儲けようとすると全然違う道を通る。

なんとかならないかな、と思う。

 

■採用について

会社に入ってから、どういう教育?能力?活用?の前に

コミュニケーション能力がもっとも大切。上司との関係をどう築くか。

人とのコミュニケーションをとれるひとも半分くらいしかいない。

どういう教育してきたの?と問いたい。

※岸邊さんはあえて厳しい意見を言うように言われているそう。

 

■日野田先生へのパス

いつも通りのことを言うが、真面目に聞いていただくのはいいがオーディエンスの顔が怖い(笑)

インタラクティブに。うんうんを。全体で盛り上げるのが目的。主人公はみなさん。僕らは刺身のつば。

MITやスタンフォードでいうのが、

「幼稚園児のように学びなさい」

歳をとればとるほど幼稚園児ではなくなっていく。

おもろかったらおもろい。

わからんかったらわからん。

あのくらいの学習者であることが本来学習者のあるべき姿。

 

「わくわくすることが前提であるはずなのに

本の学校はわくわくをつぶしていきますよね。マシンになるように。」

 

一歩間違えれば先生が調教するという教育観。

犬にしてしまっている。先生は、それと闘い続けられることが大切。

 

日本に帰ってきて驚いたことは、生徒指導という言葉。

海外にはない。宗教上の問題で訴えられる。

人にはそれぞれの価値観、それぞれの思いがある。

同一化を強要する日本文化、の悪いところでもありいいところでもあり…。

 

■海外進学の話とキャリア教育の話

箕面高校は海外進学で目立っているが…正直どうでもいい。

自分たちとしては、

「どこへ行ってくれてもいいけど自分の人生の舵を自分自身でにぎれ」

ハーバード卒業しても寿司屋になるくらいの根性つけてくれ、ということ。

にこにこ笑って楽しそうにやってくれたらいい。

毎日不満言って人の悪口言って

最後はいかがなものかと思うって…

「いか、がどうしたんですか?

人の悪口いう前に自分でできることやったらどうですか?」

と思う。

 

「日本の人みんな優しいはずなのに最近人の悪口言うの好きですよね。」

 

くだらない話ばっかりしてる。

世界ではこんなにいろんなことが起きているのに、不倫の報道ばっかり。

誰かが意図的に日本人を馬鹿にするためにやっている、恣意的に。

そう思う。

 

アフリカの変化、シンガポール、日本が物価一番安い、ということをみんなわかっていますか。

 

■学校経営について

海外進学は結果のひとつ。ノウハウがあるのでやり方がわかっただけ。

自分は、トップダウンはしない。ただインターに行っていたのもあって、自分は黄色人種として白人に痛い目を合わされたので、頭下げるのは得意(笑)

日本の先生は賢いが、ディフェンシブな人が多いので喧嘩になる。

その始まった喧嘩をとめる。みなの意見をきく。やりたいことを1つずつまとめてもらって、ビジョンに向かってすすんでいく場づくりをする。

日本の先生は能力高いのでそれさえできれば。

ただ能力高いのをちがったほうに使うと大変。

 

■大阪高校岩本先生から日野田先生へのご質問:「やりたいことは?」

あまりやりたいことはない。正直言うとはやくやめて農業したい。

ただ今は海外進学系の話がいっぱいきているのでそのことを。

 

今の2つ上の学年、メルボルン大学に行った子。首席で帰ってきた。

偏差値58。

偏差値はとても狭い範囲での位置関係しかあらわさない。

あれは作業力検査。忍耐力検査で、かしこいかどうか、はわからない。

センター試験をハーバードの学生に渡すと、

これなんのためのテスト?と質問される。

 

本当にかしこいかを測るかわからないテストで順位づけして、スポイルして、効率よくさばくなんて、あんな失礼なテストはない。

 

■テスト論、日野田先生

定期テストやめたい。やめるという方向性で話をしていたのに、どうやって成績つける?

という不安がでてきた。

 

「それをみんなで一から考えません?」

 

あれは、正直言ってやらなくていいのにやっている。学習指導要領にはのってない。

あれで成績つけるなんて脅迫。言うこと聞かすためだけ。

脅迫しているということに気づいていない。

日本全体で脅迫している、あれに合わせてみんなが最適化されていく、だから正直に言って、もっと面白かったはずの子たちが面白くなくなっていく。

 

陸上の朝原さんが言っていたこと。

陸上教室3歳(3年生?)くらいまではしゃぐ。4年生(4歳?)くらいから大人の顔を見始める。

その段階から伸びなくなる。だから、エリートを育てたかったら、海外へ送らないと身体能力が高くてもマインドセットでだめ。人生のオーナーシップをもってない。やらされた、という雰囲気になる。

 

そもそもの教育のあり方が間違っている、という想い。

 

僕も同感します。

 

■テスト論、石川先生

そもそも定期テストで身体が成り立っている先生方。

このクラスでテスト平均点65点教えるにはどうすればいいか、

で身体が成り立っている。

おしえたことがどうなるか、

なんの役に立つ、のか、に意識がない。

 

できがいいから、選択肢やめて記述。

できがいいから苦手なところをだす。

 

これらは、未来からの留学生に対してリスペクトがない。

過去からの難民を生み出すような定期テストになっている。

定期テストに必要なことは?

の議論はすべき。

作る側ではなく。

むずかしいけどチャレンジしてみたくなるような問題ってないのかな、

と思う。

 

■テスト論、恩田先生

スマホを持ち込まずに覚えているテストに意味はない。

ということは、生徒がテスト問題をつくるようなテストにする。

問いをつくるようになればいい。公立の教育の中でできることがある。

 

■ことばについて

中教審などの会議にいくと、1秒で15秒くらいの言葉数になる。関東は語尾が短い。

関西は語尾が長い。波長が合わないと感じる。

自分はサッカーをずっとしてきた。

全国で集まる子たちは標準語をしゃべる。

すごはーん、が、インターハイでは、どうしたの?、になる。

関西人だけ、なんでやねん!というと、イエローカード

どうして?と言ってくれ。と審判に言われる。

だから京都の代表チームではまず

どうしたの?なぜ?

と教育してからはじめる。

 

■京都の学校教育の歴史

京都は私学の天下。公教育がなくなる。公教育の復権。一週遅れのトップランナー。京大東大何人か、という進学校、ではまったく意味はない。その準備段階のとき、21年前。地下鉄サリン事件が起きた。

主犯者たちは進学校の出身者。

こういう頭の使い方ではない生徒たちを育てたい。

 

問いを自ら考える。

このテーマで問いを作れという定期テストはできる。

 

■あったかい について

あったかい、とは?

好きなことを見つけて好きなことに打ち込め、というのは、

甘やかしではない。

好きなことでは、苦労も挫折も乗り越えられる。

失敗体験を安全にしなさい、そういうあったかさ、が学校にあればいい。

 

探究活動や問をつくることをやっていると、

社会の空気を読めないこともある。

宗教、政治

ハレーションについても、

子どもが追求していく。

国会議員文科省に指摘されることも。

 

でも安全な環境の中で安全に失敗させて最大限トライをさせる

あったかい学校づくりは、公教育でできる。

 

■ここで平野先生から岸邊さんへのパス。

学校というのは究極の疑似体験=リアルをどう演出するか

という言葉を昔岸邊さんが平野さんに言っていたことと重なった。

 

■岸邊さん、考える力を育てること、について

解く力と違って、考える力はすごく大事。

椅子の座り心地。ホールの目的。どんなことでもいい。

例えば、グーグルの昔の採用試験、ものすごく難しい数式がでる。

解けた人が、合格。

数学者も、すべてネットで調べた文系も、合格。

これと同じようなことだと思う。

 

学校が、何を体験させてくれる、のか。

そもそも学校で、自分たちの発信することがない。

トライアンドエラーが行われていない。

 

テスト不要論は学生からでてきてもいい。

 

なんでおなじところに行く修学旅行なのか。

お金、足りひんけどどうかせぐ?

という話もしていけばいい。

 

もちろん、子どもなのでやっちゃいけないこともある。

思慮深くないこともたくさんある。

それを親・先生・上司・先輩の気持ちになって見つめてあげる

そんな学校であれば素敵な時間になる。

 

■岩本先生、失敗、について

会場の皆様との出逢いに感謝。これが今の時代なんだなぁ、と感じる。

どうやって知った?Facebook

司会の池田先生に教えてもらった。

これがいまの時代。

 

怖さ、ワクワク、ある。

ではその中の、失敗とはなに?

「やってみて自己修正できないと怖くて何もできなくなってしまう」

 

怖がる親、教師。

もしも、には際限がない。

不安は消えない。

 

学校格差と遊び心。

こういうシンポジウムにあつまるのは

真面目に勉強しましょ?で集まっているのか。

僕は、遊び心。

 

時間を、空気感を共有しながら

「なにが自分の中で醸成されるのか?」

 

調べたら言葉は頭の中に入る。

それ以外のものがこういう場で手に入る。

 

「この、手に入る、ということを僕は子どもたちと共有したい。私の学校の先生たちと共有したい」

「そうすれば多くのことをクリアできるだろう」

失敗も選択肢のひとつ。次の結果が大切。

 

■大阪高校の役割

学校格差というのは、誰が格差と思うのか、生徒が思っているわけではない。

教師がそう思っている。

格差はあってもいい。でも、格差をかき混ぜたい。

そのさきがけとしてかき混ぜてく。

阪高校が変われば日本変わる、と職員会議でいう。

大阪の公立中学校の真ん中くらい、人数多い、いろんな問題を抱えている子たちがくる。

そういうところに切り込んでいく。

その糸口をさがせたら、と感じている。

 

■フロアからの質問タイム

質問30秒vs回答30秒、結論以外は言わない、という方針を日野田先生から提案

 

■Q1:職員室の人間関係と教室の人間関係の工夫は?

■A1:堀川高校恩田先生

同僚性は信頼の貯金。信頼を貯金するのにたりるよう関係性をつくることが大人としての作法。

足し算ではなく掛け算で生徒をみまもる。そのような教員集団関係を常々口に出していい続けている。

 

■A1:箕面高校日野田先生

先生同士仲が良くなかったが今はなかよくなった。みんな教材で壁作るのがすき。

フリーアドレス職員室。昭和の学校がいい。「今日はどやった~」と言いながら冷蔵庫から出てきたらあかんもんがでてくるような(笑)今は、困ったこと言うと「あいつは全然勉強してへん」と刺される。

そうではなく大人が助け合う。

 

■A1:大阪高校岩本先生

職員室をわけない。120名ワンフロア。生徒の通路も使う。こまかくしない。

 

■A1:岸邊さん

人間関係の基本はappreciate。正しく評価して感謝する。評価する能力を身につける。感謝を忘れないこと。

 

■Q2:部活動についての考え方をお聞かせいただきたい。

■A1:箕面高校日野田先生

公務員なので、部活は地方公務員法でまもられていない。損害賠償請求の対象。判例9600万円まででている。

家族をまもることを前提に外部に出す方がいい。NPO法人化した方がいい。法人責任でやる。PAYを払う。個人的に大好き。いいことやけど無理がある。敬意として等価交換でPAYは行われるべき。

事故はある。本来の社会教育にかえる。

…30秒超えてもいいですか?(笑)

この国はプロ選手のセカンドライフがない。これはよくない。アクティビティにお金をはらうのは基本。サービスをもらうのにただでやらせてもらうのはおかしい。そんなことやってるから経済が悪くなった。jリーガーの三分の一は引退後調理師している。元日本代表でさえ。セカンドライフがないから。元日本代表という日本の財産が調理師をしないといけない国、おかしい。

学校が部活動という名前で民業を圧迫していることが理由の1つ。

教特法で4%の上乗せで青天井の残業をさせられている教員。田中角栄のとき。やめたほうがいい・

4%✖️100万人✖️平均給料500万=2000億円規模のマーケットの邪魔している。

それだけで、地方創生とか言う前に、中学校規模でビジネスが成り立つ。

プロ選手が引退後地元に帰るなんてとても素晴らしいこと。東京一極化なくなる。

そういうビジネスデザインを考える。

ビジネスの話するとなんや教員がお金の話するんかって言われるが、お金なかったら社会回らない。

お金の話は学校でもっとすべきちゃんと。だからこんなに経済が悪くなったと思う。

部活は社会を良くすると思う。ぜひ民間解放すべき。

いろんな意見あるうえで。

箕面高校は?

あ、箕面高校はいつも通りですよ(笑)

部活は減らすようには働きかけている。

ダンス部は、もともと364日働いていた。今週3で日本一になっている。

部活はブラック企業の恩賞。

何にも考えない。やらされてる。

休みがあったらなにしたらいいかわからない?

部活は本来生徒の自主的な活動。なんで顧問の自己満足に付き合わされているのか?

顧問とコーチの役割を間違えていることもある。

なんのために部活動が存在しているのか、を根本的に考え直さないと思考停止の集団を日本中につくる。

自分がしたいとか、したくないとかではなく、社会全体を不健康な形でコントロールしている。

プラスにもなるけどマイナスにもなる。

マーシーズンとウィンターシーズンで変えた方がいい。

3年間頑張ることが大切。やめた子はダメな子あつかい。合わなかったらやめたらいい、と思う。

3年間頑張る、頑なに強張る。変化の対応性0。

インターナショナルのリトルリーグ。

作戦は小学生でキャプテンたちが考える。

負けてもケーキとコーラ食べながら来週のことを子どもたちで考える。

ピッチャーで8連続ファボール出した。

嘘泣きしていった。

怒られると思っていた。

「きみは信頼されてキャプテンでピッチャーしている

君の事情でぐちゃぐちゃにしたから自分で責任とり」

小5で。逃げれないからきつい。

日本帰ってきたびっくりしたのは、

監督のいうとおり、練習して、

監督のいうとおり、作戦して

監督のいうとおり、試合して

負けたら

根性足らんと言われる。

それも計算してたんとちゃうの?

挙げ句の果てに走ってこいと言われる。

3回目で

「あんたの作戦通りやって負けたんやから

あんたが走れ」と言ってしまった(笑)

これは、どこの会社でもそう。

言うてるだけいうといて最後は上司が梯子外す。

 

-ここで岸邊さんがカウンター

「おっしゃられることは理想論で世の中99%そんな人」

その人たちとどう向き合うのか、それはどこで学べばいいですか?

 

-日野田校長の返答

あうあわないがある。合わないなら出たらいい。

 

-岸邊さんのカウンター2

あう・あわないという理由もあるが、自分の心の弱さでやめている人が多い。

その人たちに施す教育とはどのようなものか?

 

-日野田校長の返答2

違うフィールドを探していってあげればいい。いろんな可能性。

たとえば、野球が合わない、根性ない、でももしかしたら将棋であうかもしれない。

 

-岸邊さんのカウンター3

うちのセクションでもそうですけど、1、2回合わない人はとことん合わないんです。

これって、何か一つの法則性があるような気がしている。

 

-日野田校長の返答3

「それやったら電通やめたらいいと思うんですよ」

海外育ちなので、合わない会社で頑張ることは、他の会社でうまくいくかはわからないが、とまるよりかは動いた方がいい、と思う。

 

-ここでフロアの方からの質問

 

■Q3:いまの日本の教育で残しておかなければいけないことは?

■A3:日野田先生

自分は海外育ちなので日本の教育思想の研究をしてきた。

荻生徂徠

貝原益軒

が大好き。

今の教育現場ではやらなくなった。

大村はま

有田和正

全部捨ててマシンのように育てるようになってしまった。

京都の番組小学校とか。

自分は日本で教育を受けていないので、逆に日本の教育のよさをわかっているつもり。

昔は塾の仕事をしていた。システマティックな最適化の能力はすごい。

インターやIBは先生の変動幅が大きすぎる。多くの人がおもっているほど華じゃない。

でも、塾でもしんどくなる子はいる。

公立学校は、今は国公立の数で学校は評価される。とんでもないこと。

「どこへいこうが、自分の使命に気づけることに常にアプローチすること、が教育のあるべき姿。」

上司としては

部下が目指すべきところを目指させる

こと

 

-ここで岸邊さんに交代

 

■A3:岸邊さん

スポーツをプロとしてやっていくのか教育として何をやっていくのか

ということと

部活を外に出すのかどうか

ということは分けて議論すべき

ブラック部活の主語は先生になると思うが、外に出すことには賛成。

残さないといけないことは、上の人間、教育する人間が注意深くみないといけない。

走ったらしんどくなる、

逃げたくなって足を引きずりだす人たちがいる。

その人たちにつける薬。

それは学校教育と社会の場では違う。

つける薬を間違えると大変になる。

電通のようなクリエイティブ集団、

人に対してどう話せばどうなるのかをコントロールする会社の集団でさえ、見誤ることがある。

よっぽど難しいこと。

 

この人のために、というAppreciateを、ハートフルこそを残さないといけない。

 

変えていくべきこと。

学校教育においてスポーツというポジションは様々ある。

教育として健やかなるものとして使うのであれば、

時間を有意義に使おうとしている人からすると

ちょっと違ってくる

 

採用側も

何に打ち込んだの?

と聞く。

 

ボランティア、外国人と戯れていただけではだめ。

先生たちは、素敵な活動だよね、と評価するかもしれない。

でも、

「精神がものすごく揺さぶられるくらい何かに打ち込んだことがあるかどうか」

 

を教育として残していってほしい。

 

■A3:恩田先生

部活好きなのでフォローしたい。私は昭和30年代はじめに生まれているので、水を飲んではいけない世代。

ひたすら水を飲みたかった。ボールを水たまりにほりこんで「ちゅー!」とした。

だから東南アジア行って水飲んでも全然大丈夫。

根性ある。靭帯という言葉はなかった。なんでも捻挫。練習したら治る、と言われてきた。

日本の当時の企業が求める人に人材にピッタリあう人と思う。

 

しかし、今、京都のベンチャー企業では

おもしろおかしく、いやならやめろ、というクリエイティビティのベンチャー企業多い。

それまで日本陸軍の流れの企業体制はない。

 

集中力

デザイン力

クリエイティビティ

をもった人材が欲しい、と言われたとき、部活のあり方を変えるべきだと感じた。

 

自分も訴訟を経験した。

それは校長がまもる。

 

対話を通した部活指導を。

 

でもここであえて言いたいのは、部活以外にないのか。

本当に好きなことをとことんやる活動が、ということ。

 

心の底から、超えてから限界がわかる、みたいな活動、が。

 

親御さんも、過保護過干渉を超えて

「師に託す」

というような活動が、

部活以外にありますか?とそれぞれの高等学校に問うべき時代

だと思う。

 

-ここで岩本先生に交代

クラブ活動というのは、日本の中で体育の授業をどう変えていくのか、ということとセットで考えることだと私は思っている。ぜひ研究実践を。責任は僕がとるので。

 

-ここで油断している石川先生へのキラーパス

■21世紀型教育

一昨年の6月にきて共学になる。生徒を集めないと学校が潰れるという状況だった。21世紀型教育を掲げてきたが、

「関西でははやらない」とよく言われた。

学校側の作りや序列が、埼玉と関西は言うことが似ている、と感じる。

下の学校は、上の学校よりも補習、部活、行事もあると、えぐい目標を立てる。

「あっちよりもこっちの方がお得だ」

数字を並べて、

「これだけやるからお得だ」

というブラック的なものがある。

これが好きなのかな?と感じた。

 

そこで、同じことやっても仕方がないから、あえてウリを「癒し」にした

進学目標、数字をいわないようにした。

にこにこして、楽しいを、それも関西弁で押しまくるのじゃなくて、

まったりと話して、癒し系の人がきて話して、みんなで一緒にやりましょう、と伝えた。

すると生徒が集まった。

「ここには自分の居場所がある」

と思って生徒がくる。

 

2年で受験者数が3倍とかになっている。

 

そこに対戦があっていい。

うちの学校はレベルが低いからお得商売にのっかっていってそこを信じていく人があればいい、

とことんまでなにかをやりぬくことで自分が変わるって人もあれば、

いや、そこに居場所があっていろんなことやりながらだんだん生きていくという、そういう選択肢があってもいい

僕は後者が新しい芽だと思う。

 

21世紀型教育も関西であたるじゃないか。

と思った。

本質はなんなのか?

 

未来社会を見た中で

今がそうで今の方がいい

そう思う教育を選べばいい。

 

■Q4:性欲に関して、なぜタブー視されるのか。

■A4:岸邊さん

単純に、恥ずかしいから。なんとなく学んできたから問題ない、と思う。

 

■Q5:リーダーシップの定義とは?

■A5:

石川先生

「正しい置物になれ」

置物としての中身があれば、置物としての存在感さえあればいい

 

恩田先生

「メンバーに知らない場所、人をつなぐ存在、ステージにあげてあげたい」

「学校ではリーダー尻尾」

降りる方が難しい安全に下山させる

 

日野田先生

サーバントリーダー

チャレンジする安全で安心な環境作り

松下幸之助が言っていたような

「ほなやってみなはれ」

責任ぜんぶとるので

皆さん好きなことやってください

 

岸邊さん

「リーダーシップとはなんですか?と質問する人に

リーダーシップはないので自分で考えてください」

 

岩本先生

「リーダーシップは、全員がもつ・もっているもの

キーワードは、知りたい、に飛び込む力と

横に人がいるときに、巻き込む力」

 

■Q6:21世紀、新しい時代の教育の養成を見据え、文科省の枠外にでろ、つまり、教科書以外の、教育の優先順位とは?なにを教えるかという優先順位とは?たとえば、金儲けについて、など。

■A6:恩田先生

役に立つか立たないか、ということでいけば、今役に立つことは、すぐに役に立たなくなる。

実利的なことよりも、学びなおす、tryする力を優先順位高くつけていきたい。

そういうことが授業でできるかどうか。

 

■Q7:学校と教育の境目は?学校でなければできない教育とは?

■A7:石川先生

人が集まってしかできないこと。

一人ではできないこと、対面だけではできないこと。

関西の悪しき言葉の副教科というものがある。

その教科こそ学校でやる必要がある。

 

■Q8:家庭での親に求められるもの

■A8:日野田先生

学校と塾の関係が最適化しすぎて破綻している。

中高という一番多感な時期に親御さんとはなす機会がない、

副教科、リベラルアーツ

日本ではタブーとされている宗教、政治、経済、セックス

の話を家でできない。

物理的に塾に通っているし、保護者も忙しいから会えない。

 

それが問題の大きなコアの1つになっている可能性がある。

 

全員前でじーっと座ってぼーっとしているだけ。

注入することに必死。

だから、哲学がない。

 

海外進学がいいかどうかはおいといて、日本の受験と根本的に違うのは、

 

あなた誰ですか?

自分の口で説明してください。

どうやって世界に貢献するんですか?

簡単に言えるのが一番大事。

それを言えない。

 

聞いたら怒られた。

わからないから聞いているのに。

 

日本には昔あった。

禅問答。

高度経済成長の中で消していって、最適化してきた。

昭和前期の教育は悪くないと思う。

そこに立ち返る方が人間性が分厚い人ができる。

 

■Q9:社会が変化していく中で若者が変わっていく必要がある。その人たちに教える先生たちが身につけていくべき力は?

■A9:日野田先生

チャレンジすること。生徒は、先生の背中をみる。ネガティブな先生だとネガティブになる。隙があった方がいい。

先生あかんなぁ、私手伝おうか、というのが、主体的な行動に繋がる。うまい将棋の指し手は、子ども相手にわざと負ける。で、モチベーションあげさせて、頭ばちーんとしばいて、そういう加減がわかる先生に。授業力、アクティブラーニングという、流行りスタリではない、教育の本質。貝原益軒が書いている。

日本のDNAにあっている。日本の教育思想史をぜひ読んでほしい。

 

■Q10:こんな部下育成、教員研修方法のあり方というこだわり、のビジョン

■A10:石川先生

教員の研修は、授業を見てアドバイスしあう。

授業のつくり。発問のつくり。問いの内容とそのねらい。子どもたちをいうこと聞かせられたとかはどうでもいいので、授業の作りをどうするか、に目を向ける。今までそこを見てこなかったかなと感じる。

 

■A10:岸邊さん

すべての研修は、どれだけ前向きに自分が参画するか、がすべて。

百人のうち九十五人は座っているだけ。

だから研修はしない。

皆さんこっちで喋ったらいい。

でもステージに上がらない。

だから研修には意味がない。

研修ではなくステージにあげることを誘発させることの段階、が大切。

0を1にするのが難しい。

 

■Q11:校則について

今日の定期テストや部活、心の底では同意している。しかしそうならないのは、不安があるから。それに代わる確信があるわけでもない。我慢大会が続いている気がする。

先ほどあった、その場があわないから変える、でも結局はそれが続く、となってしまう人、という話。

根本はどこなのか?

校則・部活・定期テストがその根本を育てるのかも、と感じているのかも。だから一歩踏み出せないのかな、

という気がしている。そのあたりもふまえて、校則、について。

 

■A11:日野田先生

同志社国際には、校則がない。上履きはけ、だけ。

英語の授業がしんどい。LibertyとFreedomについて調べろ、徹底的に。自由の定義が違う。

リサーチ→個人プレゼン→グループワーク→フィールドワーク

1年間ずっと。自由がどれだけめんどくさいか、と思う。

 

本来それが、リベラルアーツ

常識からのブレイクスルー

どうやって現状打破するのか。

そのための根本的な力、スキル

それをリベラルアーツという。

教養ではない。

 

文化祭も、予算160万円渡すだけ。

火水裸は禁止。あとは自由。

宗教・言語違う子たちの集まり。収集つかない。

それが、人類とコンピュータとの違い。

 

ALのグループワークは仲悪いもん同士を。

常識違うもんを集めないと多様性なことはでてこない。

そのような形で、校則はなんのため?

 

生徒を縛りづけるため?

自由とチャレンジをするための道具として?

なんのために使うのか

学校の中で議論する勇気を先生が持たないといけない。

企業も。

 

■A11:岸邊さん

日野田先生にTotally agree。

ルールがあるから逸脱していることがわかる。

どの程度の逸脱なのか、というガバナンス。

上司に対して逆らわないとか、

誰にも決められていないものがある。

たとえばスーツ着てくるとか。

皆考えている。

お客様に失礼があってはいけないかもしれないから、という理由。

 

これをしてはいけない、というものを決めた限りは理由があるはず。

奥深い理由。

その奥深い理由がない場合は、体制側が生徒を支配しようとした名残なので、撤廃してほしい。

生徒と先生がしゃべりあって、決めていけばいい。

その結果決まったものは、校則とは呼ばない。

憲法

そのようなことができるようになっていけばいいと思う。

 

■Q12:この国がもっと教育にお金を使えるようにするためにはどうしたらいいのか?

■A12:岸邊さん

なぜお金を投下しないかというと、投下すると誰かが儲ける仕組みができていないから。

産官学や高校生のロボット研究。企業は何億とお金を突っ込む。

教育をしている側が、お金を集めようとしていないのではないか?

お金があればなんでもできる、社会人としての発言として聞いてほしいのだけれども、

お金があると人があつまる、人があつまるとモノが動く、

そこに雇用が生まれる、役割が生まれる。

そこに人がはいっていくと、どんどん連鎖して大きくなっていく。

この中にお金は含まれているので、そのマネーチェーンを回すことでさらにお金がうまれる。

 

■A12:石川先生

お金は専門領域ではないのでわからないが。公立の先生の給料を全部集めると結構すでに出ているのではないかな、という点と、余計な大学がなくなったほうがいいんじゃないかな、そうした方がお金はでてくるんじゃないのかな、と感じる。組み替えの問題?じゃないかなと思う。

 

■A12:岩本先生

お金を集めるという気概、企業からお金を集めることが普通にできるようになる国になることが大切。

困っている子どもたちがいっぱいいる。出資したい企業もある。

その接着剤は?

早急に踏み込むことが必要。

 

■A12:恩田先生

現職の前は工業高校の校長。

資格の世界では、建築関係は国交省、機械やモノづくり関係は経産省、から戦略的予算を獲得する。

SSHやSGHは文科省から予算をとりにいく。

もっとひろい意味でのキャリア教育という国家戦略が必要。

これは、どこどこ、というのは、国としてぶれている。

 

ハーバードやMITに生徒を行かせて思ったのは、

きっちり対価はとる、ということ。

視察であろうと、ワークショップであろうと

日本の場合は、教育的体験についてはお金とるのは…という文化がある。

それを整理すべきではないか、

来年からうちの視察も拝観料とろうか検討しようかなと思います(笑)

 

■まとめ

学校の立場や偏差値を超えて繋がっていく

 

■石川先生

「潰れる学校」というテーマで話したかった。

考えない管理職が多すぎる。

日本のトップを育成していかなければ未来は暗い。

 

■恩田先生

組織とはトップが遊んでいたら潰れる。

高等学校はAI時代でなくなる職業の中に入っている。小学校や幼稚園はなくならない。

そこに高等学校が生き残りをかけるヒントが残っているのではないか、と感じる。

そういう観点でも話をしていきたい。

 

■日野田先生

ここにきている人たちは、変態扱いされているだろうと思う。

横で繋がっておかないとしんどくなる。実は自分はFacebook作ったメンバーのひとり。

大変なときに偶然Google村上さんがサーバを貸してくれて助けてくれた。

このように次の世代に渡していこう。

学習指導要領も高大接続も、現役の保護者と高校生に考えさせてあげる方がいい。

ただの利権争いになってないか。

プレーヤー、20代30代に、考えさせてあげるべき。

僕らはけつもちする。

だから、繋がっていきましょう。

 

■岸邊さん

大事なことは、破壊的創造。

自分が一生懸命たてたものを壊す勇気があるか。

正しいもののために変える覚悟があるか。

求められてもいないのにその役をひきうけることができるのか。

それは自分次第。

傍観者になる必要はない。

いますぐ、明日、明後日

できることはたくさんある。

まずはやってください。

 

■岩本先生

というような、大阪高等学校。その体験は、駅近で。

危ない話はだめだが、どんどん利用していただき、繋がっていきましょう。

 

■おわりに

いつだったか。「”教育者”とはだれか?」という疑問が頭の中におりてきた。

いつの頃からふとあらわれた「“すべての大人”」という答が真理だと信じている。

今、我々は、自分たちは将来の“教育者”を育てていくのだという自覚を、多くの仲間と共有していく必要があると感じている。我々は、”よき教育者”を育てる必要がある。

では、”よき教育者”とは「誰」なのか?

 

おそらく、今回のシンポジウムのような議論が終わるとき、”それ”は亡くなるのだろう。

だから、今回の議題は、これからも議論をしていく必要がある。

少なくとも、自らの意見はもっておいた方がいい。定期テスト、部活動、キャリア教育、授業、学校経営。

 

腐敗や堕落の未来との対決。

それは、僕たち教師が、日々の中で何を感じ、学び、毎日をどう生きるか。

生徒に何を還元し、どう彼/女たちを育むか、ということの質を高めていくことそのものである。

求められてもいないことを実践する勇気と、最適解を実践し続ける覚悟を持とう。

 

教育の未来を生きていくために。

HELLO 2018

A Happy New Year! 

あけましておめでとうございます!

 

How have you been so far?
Today I want to write about the importance of reflection, and the idea to implement a better reflection.
みなさまお元気でしょうか。
今日は「ふりかえり」の大切さについて、そしてよりよいふりかえりを行うためのアイデアを書こうと思います。

 

Recently I have been really interested in and thinking of what learning is, mainly because my job is a teacher who is supposed to organize learnings of pupils.
最近、「学びとはなにか?」ということについてとても興味がありよく考えています。教師なので必要です。

 

However, honestly speaking, I’ve recently realized I don’t know very much about what learning is, because what I have learned at graduated school to be a teacher was not "learning" but “English education”, which must potentially include the idea of learning though. I’ve come to understand how little I know about learning theories.
しかし正直に申し上げると、あまりそのことについて知らないなぁ、と気づいてしまいました。大学院で勉強したことは(そのことを含んでいるとしても)あくまで「英語教育」だったからです。「学び」についての理論を少ししか知らないことに気づきました。

 

So I studied some theories of learning and try to figure out what it is.
なので、勉強しはじめました。

 

Then I reached a theory called experiential learning.
Do you know about it?
すると、「経験学習」と呼ばれる1つの理論にいきあたりました。
ご存知でしょうか。

 

It is a holistic model of the learning process by David A. Kolb.
コルブ氏による「学び」のプロセスを謳った包括的なモデルです。

 

He theorized how people learn through discovery or experience:
1. Concrete Experience
2. Reflective Observation
3. Abstract Conceptualization
4. Active Experimentation
5. (1. )Concrete Experience
6. (2.) ...

彼は「発見や経験からどう人は学ぶのか」ということについて理論化しました。ざっくりと言うと以下になります。
1. 具体的経験
2. 内省的観察
3. 抽象概念化
4. 能動的実験
5. (1. )具体的経験
6. (2.) ...


Let me think of an example.
例を考えてみます。

 

When a baseball kid who had a practice yesterday(1.) wrote down about the practice reflecting how his performance was(2.). Then he realized that he was good at bunt only when he was trying to watch the ball behind the bat(3.), so he decided to keep watching the ball behind the bat and did it actually(4.&1.).
とある野球少年が昨日の練習(1.)に関して、練習中どうだったかをふりかえってノートにまとめています(2.)。すると彼は、バットの後ろからボールをみるときだけバントが上手くいっていたことに気づきます(3.)。なので、彼は意識してバットの後ろからボールを見ることを決めて実際にそれを試してみるのでした(4.&1.)。

 

Most importantly, just experiencing something could not be a learning in this theory, and I think it true.
もっとも大切なことは、なにかを経験するだけでは「学び」は起こりえない可能性があるということで、案外その通りだと思います。

 

In my view point, if you are not too lazy for yourself, the most important part of the process is 2, reflection, and this process is what we often miss in a dairy life. As we see above, reflection is the beginning of learning.
僕は基本的にはもっとも大切なのは2だと思います。そしてこの「反省的観察」が、僕らの日常にかけているのではないかと感じています。でも、「学び」のはじまりは、この「ふりかえり」なのです。

 

After I learned it, I often have the opportunity to reflect myself about what I had experienced and how I acted in the experience.
それを学んでから、経験したことや、その経験の中でどうのような言動をしたか、をふりかえるようになりました。

 

As a few times passed, I felt such a fuzzy feeling that it might go with a pointless reflection. I just looked back the activities and had a few opinions about it. I missed something. I considered of what I missed in my reflection.
何度かしていて、なにかモヤモヤしてきました。なんだか、的を得ていないような感覚です。単純に、活動をふりかえりそれについて感想を述べる。何かかけている気がしました。

 

Then an idea comes up to me; the point we should reflect is not just “activities” but also “GOAL” or “PURPOSE” of the activities; what I missed was the idea about WHAT I reflect.
考えているとある考えがやってきました。【ふりかえりを行う中で注意すべきなのは「活動」だけではなく「目標」や「目的」に関してだ】ということです。「何をふりかえるのか」ということが抜けていたのです。

 

This is obvious when it comes to classroom.
I often set the opportunities to let students reflect themselves with their GOAL or PURPOSE, but I did not adapt it for myself.
これは授業に関していうと明らかです。
僕はよく生徒たちに「目標」や「目的」をふりかえる時間を設けていました。
でも、いざ自分自身のこととなると、できていませんでした。

 

Now it is the beginning of 2018, at the same time, the end of its first month.
さて、2018年がはじまり、その初月が終わろうとしています。

 

If you have not reflected yourself of 2017 yet, I strongly recommend you to do it, because reflecting is the very beginning of a learning.
(Even though you say “it is OK for me. I do not have to do it because I do it everyday”, I will keep recommending you because I think it different: everyday reflection is a short term-daily activity reflection, and a year reflection is a long term-life reflection, so both are important.)
みなさまも、もしまだ2017年をふりかえっていないければ、ぜひふりかえってみてほしいです。
それが「学び」のはじまりになるので。
(「自分は毎日ふりかえっているから必要ないよ」という思う人にも、してほしいです。なぜなら、毎日のふりかえりは、短期的な「活動のふりかえり」であって、1年のふりかえりは長期的な「人生のふりかえり」だからです。どちらも大切なのです。)

And, if you have not set your GOAL of 2018, I want you to do it, because it would help you to reflect yourself more concretely when you have the opportunity to reflect yourself in a year.
そして、もしも、2018年の目標を設定していなければ、それも設定してほしいのです。
それは1年後、2018年のふりかえりを行う時により具体的な視点を与えてくれるからです。

 

If you think a life with a lot of learnings is a more sophisticated one, I want you to reflect your time a lot.
It is because reflection is the beginning of learning, and it can make our life more sophisticated.
もし「学び」の多い人生が、「深い」人生と思うのならば、たくさん自分の時間をふりかえってほしいなぁと思います。
それが、「学び」のはじまりであり、僕たちの人生を「深く」してくれるからです。

 

As a food becomes rich taste, your life can become so, when you take time to reflect yourself.
ふりかえりの時間をとることで、僕たちの人生はコクのあるものになると思います。食べ物がコクをますように。

 

I know it takes time.
時間がかかるのはわかります。

 

It takes time, so it becomes rich.
だから、コクがでるのだと思います。

 

REFRECTIVE TEACHER

"What on earth have I been doing?!"

「あぁなにをやってるんや…」

 

I would often think so after class when I was teaching at Horikawa as a freshman teacher.
堀川で教え始めて1年目のとき、授業後によく思いました。

 

I would reflect myself just after class as much as possible, and tried to improve at every class, thinking what was good and what I could have changed.
授業後すぐに出来る限りふりかえりをして、毎授業なんとか改善するように努め、なにがよかったのかなぁ、どこを変えたらいいのかなぁ、とかいろいろ考えていました。

 

I also tried to see other teachers’ class and talked with other teachers about our class.
他の先生の授業も見るようにして、他の先生と授業の話もたくさんするようにしました。

 

When there were an rare opportunity, so called “KENKYU TAIKAI”: an opportunity that around three hundred teachers come from all over Japan to see my ex-school, appeared, I raised my hand to have those teachers see my class.
(please imagine what an ignorant action it is, and what an...unsuccessful class design and management it was, even though the students were so fascinating that I could accomplish it.)
「研究大会」という、300人に及ぶ先生方が全国から集まるという貴重な機会には、先生方の前で授業をする研究授業者に立候補しました(それがどんな無知な行動だったか…今思おうと、授業デザインも運営も全然ダメでした…生徒たちがほんとに素晴らしく、なんとか授業はできたのですが…)

 

Anyways, those actions made me think of how important it is to think of our own class reflectively, because I cannot imagine how we can improve our teaching skills without it.
とにかく、そういったことを通して、自身の授業をふりかえることがいかに大切かを考えさせられました。それ以外、我々が授業力を高める手段がわからないんです。

 

The way we reflect our class is various: video taping, research class, demonstrate class. My favorite is questionnaires to students.
我々が授業をふりかえる方法は様々あります。ビデオ撮影、研究授業、公開授業。僕のお気に入りは、生徒へのアンケートです。

 

Every time a semester or a year finish, I take a questionnaire to the students about how my class was and I have them evaluate my teaching skills: the way to speak, the degree of enthusiasm, how my writing on a blackboard was organized, and so on.
学期や1年が終わる際には毎回、自分の授業がどうだったのか生徒に対してアンケートをとり、自分の授業力(話し方や熱意の度合い、そして板書構成など)を評価してもらいます。

 

Also I have them write a short free essay about how much they have changed through the English classes after the semester, contrasting themselves before it.
そして、彼/女がその学期を通してどのように変容(成長)したか、自由記述の文章も書いてもらいます。

 

Those questionnaire are crucially integral to me to cycle PDCA, which we, teachers, pay more attention not only for our teaching skills but for the school’s educational activities.
こういうアンケートは、自分がPDCAサイクルを回すために必要不可欠なものです。そしてそのPDCAこそ我々教師がもっと注意を払うべきものです。授業力に対してだけでなく、学校教育活動に対しても。

 

The best action would be practicing it not as an individual application, but organizational one. It should not be done because it is one of our jobs, but we want to improve them.
最もベストなのは、個人的にそういうことをするだけでなく、組織的に活用することです。そしてそれは、「仕事だからやる」のではなく「向上させたいからやる」とならなくてはいけない。

 

That’s what I want to implement now and share its importance with my peers, because nowadays a number of schools which actually implement them have been increasing, but teachers often end up doing them formally.
それが、今ぼくが実践したいことです。そしてその大切さを教師仲間と共有していきたい。なぜなら、近頃はそういうことをやっている学校が増えてきてはいるものの、教員たちは形式的にやっている場合が多い(と感じてしまう)からです。

 

We should do it because “we want to do it”.
「やりたいからやる」とならなければならないと思うんです。

 

If it could take place in this society and be taken for granted, I believe it is the best time of the phrase “the education has changed better”.
もしも、教育界でこの考え方が普通になり、当たり前になれば、その時が、「教育がより良くなった」といえる時なんだと、今はそう思います。

MISSION

Last time, I wrote about “LIFE-PURPOSE” here, http://kazu044.hatenablog.com/entry/2017/11/29/224905.

Today, I would like to share my current “MISSON”, which now I can say can be defined as almost same as one of my LIFE-PURPOSEs.
前回のブログでは【人生の目的】について書きましたが、今回は、自分の中でほとんど似たものだと定義づけられるであろう、【役割】について書きます。

Recently, I have come to verbalize three problems of Japanese education system. Here’s the three.
最近、日本の学校教育においての、“3つの課題”というものをやっと言語化できるようになりました。それがこの3つです。

 

① A Gap Between Theory and Practice: teachers tend to understate the results of educational science.
理論と実践の不一致。教員の教育科学の軽視。

 

② A Paralysis of Teachers’ Teaching Skills: teachers are too busy to improve their teaching skills.
教員の授業力の停滞。忙しすぎるため授業力をあげる余裕がない。

 

③ A Narrow-Mindedness of “Weltanschauung”: teachers do not often let the pupils connect with people out of school.
世界観の偏狭。生徒はほとんど【学校外】と関わる機会がない。あってもごくわずか。

 

What I can do to solve these problems are clear for me.
自分のなかでは、この諸課題に対して何をすることができるか、は明らかではあります。

 

I hope I can collaboratively work with my colleague to solve these problems, because none of us can do anything alone.
しかし、やはり同僚と協働して、それら問題を解決していきたい。なぜなら、一人でできることなんてほんとうは何もないから。

 

I think we can do it.
そしてその解決は、実現可能だと思うのです。

 

The most important thing is that we, teachers, have to implement the PDCA cycle more effectively and efficiently.
もっとも大切なことは、我々教師は、もっと効果的に、そして効率良くPDCAを回す必要があるということ。

 

To implement the PDCA cycle means to change the world, and what I wrote here http://kazu044.hatenablog.com/entry/2017/05/28/114248 is essentially necessary not only for the students but for us, teachers, to solve these problems.
PDCAサイクルを回すということは、世界を変えることだと思います。そのためには、【探究的思考力】は言うまでもなく必要なことになると思います。それは生徒のためだけでなく、教師自身のためにも。

 

“Don’t lose faith”
信念を失うな。

 

is the powerful phrase by Steve Jobs in 2005.
とは、2005年のジョブスの言葉。とても力強いもの。

 

I believe that the faith can change the world.
僕は、その【信念】が世界を変えるんだと思っています。

LIFE-PURPOSE

 

“What is a purpose of life?”
I often thought of that kind of matter when I was in high school.
「人生の目的ってなんだろう?」
高校にいた時、こういう類のことをたくさんかんがえていました。

 

Thanks to one life teacher of mine, I have recently come to realize one perspective to think of the process of achieving life-purpose, so I would like to share it with you.
そして最近、ある人のおかげで、この、【人生の目的】と【その成就への過程】についてあることを理解できました。今回はそれを共有させてください。

 

What I notice is that the process of achieving life-purpose could be divided into three stages; INTEREST, INQUIRY, FULFILLMENT.
今回気づいたこと、それは、【人生の目的の成就への過程】には、3つの段階があるということです。【興味】、【探究】、【成就】の3つです。

 

When you define that our lifespan is 75 years, the first stage, INTEREST, is ranging from 0-25 years old. It is the period to do various things that both you are interested in and not, as much as possible.
もし人生を75年だと捉えると、最初の段階【興味】はうまれてから25歳くらいまでかなぁと思います。この時期に、興味のあることもないことも、出来る限りいろんなことをします。

 

During this period, you are required to do a lot of things in school. Those are crucially important even when you are not interested in some of them, mainly because those would become your basement especially as you suddenly got what you really want to do.
その時期、多くは学校で過ごすことになりますが、興味のないこともすることが大切なのは、それらすべてが我々の基礎になるからです。特に、あるときふとやってくるであろう、自分が本当にやりたいことをするための。

 

At the same time, you should start trying to find what your heart and intuition want to folllow.
同時に、自分の心や直感が何をしたがっているのか、見つけようとし始める必要があります。

 

That connects to the 2nd stage, INQUIRY, ranging from 25-50 years old.
それが、第2段階の、【探究】へと繋がります。年齢でいうと25歳から50歳。

 

During this period, you try to search for what you really want to achieve in your life; you start to grasp your life-purpose.
この時期に、人生のなかで自分が達成したいことはなにか、つまり【人生の目的】を探し始めます。

 

Why you should try a lot of things or why it is better to experience various thing s when you are young is that it would be easier for you to find what you really want to fulfill later in your life.
若い頃に多くのことに挑戦したり、いろんなことを経験したりするのが大切なのは、そうした方が自分ののちの人生で達成したいことを見つけやすくなるからだと感じます。

 

What’s interesting here is that this stage is not perfectly overlapped with the start of your job. Especially in Japan, we might tend to think that we had better find a job that we really want to do when we are hunting a job, but this thought is not necessarily sufficient, Jobs are not always overlapped with your life-purpose. But still, you should keep trying to search for what your life-purpose would be.
ここで面白いなぁと思うことは、この段階が完全に「仕事」と重なっているわけではない、ということ。特に日本では、仕事探しをするときに、自分の本当にしたい仕事を探した方がよいとされている傾向にある気がしますが、この考え方は必ずしも十分ではないのかもしれません。仕事というのがいつも【人生の目的】と一致するわけではないからです。しかしその中でも、その【人生の目的】をさがし続ける必要があります。

 

Then the last stage, FULFILLMENT, appears when you find your life-purpose. This ranges from 50-75 years old. During this period, you just try to fulfill your life-purpose.
そして、最後の段階、それが、【人生の目的】を見つけた時に表れる【成就】の段階です。

 

What’s essentially important here is that, again, this stage is not perfectly overlapped with the end of your job; Retiring does not mean that you can stop trying to fulfill your life-purpose.
何よりここで決定的に大切なのは、ここでも、「仕事の終了」とこの最終段階が一致するわけではないということです。つまり、定年退職したからといって【人生の目的の成就】のためには足を止めてはいけないということです。

 

These are the three stages of the process of achieving life-purpose.
Now I think that every one of us in the world might have a role to get a life in this moment. That would be a life-purpose; we could call it homework from the sky.
これらが、【人生の目的の成就への過程】です。
今思うこと、それは、「僕たち一人ひとり全ての人に、この瞬間に、この世に生まれた役割がある」かもしれないということです。それこそが、【人生の目的】であり、もしかしたら、【神さまの宿題】と呼んだりもできるかもしれません。

 

Life is something very special for all of us.
All of us are the main character of our life-drama.
Thus, we create our lives, to achieve our life-purpose.
人生は、僕たちみんなにとってかけがえのない特別なものです。
全ての人が、自分たちの人生ドラマの主役。
そうして、僕たちは人生を創造していく。そう、【人生の目的】を成就するために。

GROWTH MINDSET

Do you know a word “Growth mindset” ? 

グロウス・マインドセットという言葉をご存知ですか?

 

This is a word defined by Professor Carol Dweck.
キャロルドゥエック氏によって定義づけられたものです。


She explains:

Growth mindset is based on the belief that your basic qualities are things you can cultivate through your efforts, your strategies, and help from others. (Dweck, 2017)
"グロウス・マインドセットとは、人の基本的な資質というのは努力、ストラテジー、そして他者の助けによって発達させることができるものであるという信念に基づいている。"

 

Comparing to this mindset, she explains that people who have a fixed mindset think intelligence is static and it leads to a desire to look smart and therefore they have a tendency to avoid challenges.
こちらと比較して、彼女は固定的マインドセットを持つ人は知能が静的だと捉えており、それがスマートに見られたいという思いを引き出し、ゆえに困難を避ける傾向にある、と説明しています。

 

I learned about this when I read a book PLAYFUL LEARNING, which I was used as a textbook in one of the greatest classes in Ritsumeikan.
大学院の時につかったテキストに載っていたのが初めての出会い。

 

Now I think that lots of lots of teens tend to have fixed mindset. One of the reasons is lying on a widespread curriculum based on TESTS. Imagine how many tests, including dairy mini-tests, you have taken.
そして今すごく感じるのは、本当に多くの若者がこの固定的マインドセットをもつ傾向にあるということ。その大きな理由は、"テストに基づいたカリキュラム"が汎用しすぎていること、だと思います。小テストも含めて、今までいくつテスト受けましたか?めっちゃ多くないでしょうか?

 

I do not say TEST is bad. I think it is important, because I understand how TEST can have a good influence on pupils’ learning.
テストがあかんわけではないんです。大切やと思うし、学びにもとても良い影響を与えることはできます。

 

However, TEST inherently has an aspect of creating a result-oriented thinking, so just taking a test can emerge or enhance fixed mindset because students always get some results, scores, which they tend to reflect it as the results of just their ability.
しかし、テストは、本来的に、"結果思考"を生むので、単にテストを受けるだけじゃ固定的マインドセットを伸長させてしまいます。いつも"点数"という結果に向き合うので。

 

This always happens naturally, unless teachers tries to let them focus on the process of how students endeavor to get the results.
自然とそうなってしまうんだと思います。
教師が、生徒たちにその過程を考えさせない限り。

 

Teachers' role are important so that students won't enhance fixed mindset.
生徒たちが、固定的マインドセットを拡張させないためには、教師の役割は本当に重要なんだと思います。

 

Again, we should try to let them focus on the process of how they endeavor to get the results.

繰り返しますが、我々は、生徒たちがある結果を得るためにどのように努力したかのプロセスを考えさせる必要があります。

 

Such knowlege might be a strong power for a better way of cultivating students' mind and heart.
このような"知識"というのは、生徒の"こころ"を育むためにはとても力のあるものなのかもしれません。

 

Therefore, we have to keep learning.
だから、僕らは学び続ける必要があるんです。


“Continuity and Change”
Growth mindset is something we should make the former.
教育には不易と流行がある。
グロウス・マインドセットは、間違いなく、不易だと思います。

 

 

 

REFRAMING

Do you know “reframing” ?
突然ですがみなさん、リフレーミングを知っていますか?

 

You first make a “frame” when you perceive something.
人はまずなにかを認識する際に、まずはじめにフレームを作ります。

 

For example, imagine you got scolded by a person, then you would recognize h/im/er as a “scary person”. “Reframing” can change the way you think what s/he is. If you change the word a “scary person” into “a person who can h/is/er opinion honestly” or “who can sincerely think of others”, the way you think what s/he is would be different.
たとえば、とても怖そうな先輩に注意をされたとします。
その時点でまずはあなたはその人を「厳しい人」や「怖い人」と認識すると思います。リフレーミングとは、一度立ち止まりその見方を変えること。
「厳しい人」「怖い人」という認識は、別の見方をすると「後輩想いの人」「自分の意見を言える人」という見方に変容します。

 

“Reframing” is the way you perceive something that once you have already done in a different way again.
作ったフレームをもう一度はめ直すこと。それがリフレーミング
※この考え方もし正確でなければご指摘ください!

 

This is essentially important when you communicate with each other smoothly.
円滑なコミュニケーションのためにこのリフレーミングは必要不可欠なものだと感じています。

 

I learned this when I joined in a teacher training program, and I noticed that my mother has often been doing it since I was young, so I have naturally been reframing things when I perceive something.
このリフレーミングはとある研修会で学ばせていただいたのですが、実は母がリフレーミングをよくしていたと気づき、自分も自然とリフレーミングが習慣づいていたと気づきました。

 

But the knowledge “reframing” enables me to notice when I reframe something or other people do it. Now, I would like to give you an exciting example of reframing I found these days.
しかし意識して考えたこともなかったので、改めて「知識」として手に入れて自分自身もいろんなことを意識的に捉えられるようになりました。最近見つけたとてもワクワクするリフレーミングを紹介したいと思います。

 

My daughter has recently started to talk a lot, and she tries various things; she wants to do a lot of things such as folding ORIGAMI or holding a chopstick.
Then she always said “I can’t do it!”
最近、2歳になった娘は言葉をたくさん話し始めるようになりました。
そしていろんなことにチャレンジしてみます。
お箸をもつこと然り、折り紙をおること然り、とにかく自分でやってみたい。
ただ、ことあるごとに、「できないよぉ〜できない!」
とたくさん言っていました。

 

At those times, I always asked her what happened, showed her how to do them, and waited for her until she accomplished it.
But she again said “I can’t do it!” repeatedly.
She definitely wanted a [result] in this communication.
そういう時、僕は毎回「どうしたん?」と聞いていました。そしてやり方を示し、娘が自分でできるように、待つ。
少しして、また娘が言います。「できないよぉ〜!」
このやり取りの中では、あきらかに娘は【結果】を欲していました。

 

One day, my wife was doing something with my daughter.
ある日、妻と娘がなにかをしていました。

 

At that time, my daughter, as usual, said
“I can’t do it!”
to my wife.
その時もチャレンジ精神旺盛な娘がなにかをやっていました。
そして妻に言いました。
「できないよぉ〜」

 

Then, the response of my wife’s was completely different from that of what I did.
She said,
“Don’t say ‘I can’t!”
“Say ‘how can I do it?”
その時妻が放った言葉は僕とは明らかに違っていました。
「できないって言わないよ〜。どうやってやるの?でしょー」

 

I was impressed at that moment, because that is a very interesting reframing.
Imagine the difference between an adult who has been always using CAN’T when they actually can’t do something and HOW CAN I.
すごいと思いました。
“おお!めっちゃすごいリフレーミングやん!”と思いました。
なにがすごいかって、その時想像したんです。なにか実際にできないことに面してきたときに、ずーと【出来ない】という言葉を使って育つことと、【どうやってやるのか】という言葉を使って育つことの差を。

 

Every one of us often use CAN’T, but it could make the transformation from [result]-based thinking into [process]-based thinking to use HOW CAN I instead of CAN’T. This could enable you to enjoy the process toward a difficulty.
人は自然と「できない」と言います。しかし幼い頃から「できない」という言葉を使うのではなく、「どうやってするのか?」という言葉を使っていくと、考え方も【結果】思考から【過程】思考になるのではないか。【過程】を楽しめる思考が養えるのではないか。

 

Since then, I have tried to say
“Don’t say ‘I can’t!”
“Say ‘how can I do it?”
Then, she has recently started not to use CAN’T.
それ以来、僕も娘がなにか「できない」というたびに、
「できない、じゃなくて、どうやってやるの?やろ〜」
と言うようになったのですが、なんと最近娘は「できない」と言わなくなったのです!

 

Instead, she always asks me
“How can I do it?”
In my perspective, what she require is not just a [result], but its [process] or a [sense of achievement].
代わりに、自分から「どうやってやるの?」と聞くようになりました。
娘が求めているものも、変わってきているのでしょうか。個人的には【結果】ではなく、自分でできるという達成感を求めるようになった気がします。

 

Unless you stop using CAN’T, you require just a result. Two-year old girl could be satisfied with it. However, things she needs while she has been growing up are [proocess] and [strategies]. The transformation from using CAN’T into using HOW CAN I? would make her require not just a [result] but a [process] and [strategies]. I believe that this is an idea worth spreading.
「できない」のままだと、直接答を求めてしまいます。つまり、欲っするものが【結果】です。2歳だと、それで満足かもしれません。ただ、彼女が成長するにつれて必要なのは【過程】であり【やり方】です。「できないよぉ〜」という言葉を「どうやってやるの?」という言葉に変えさせるだけで、答を求めるのではなく、その【過程】【やり方】を求めていくようになるのであれば、これはまさにideas worth spreading です。

 

So please tell your neighbor young friends not to say “CAN’T”, but to say “HOW CAN I DO IT?” when they are getting in trouble.
小さい子が、「できない!」と嘆いているときには、「どうやってやるの?」って言ってごらん、と伝えてあげましょう!